ベアトリーチェとなったヤスと紗音のお茶会。ベアトリーチェの誘いを断る紗音ですが、紗音の言う「ベアトリーチェの世界に無いモノ」は友人・恋人含めた他人との交流ですね。
これまでのEPで語られた事を信じるなら、ベアトリーチェと戦人の戦ってきた上位世界の住人の殆どはベアトリーチェの考えた想像上の友人です。ロノウェ・ワルギリア・ガァプ・煉獄の7姉妹・シエスタ姉妹etc・・・。
ベルンカステルとラムダデルタは異世界の魔女のように見えるからベアトの想像上の友人ではないけれど、その代わりベアトリーチェと対等の立場に立ってくれる友人でもありません。ベアトを暇潰しの玩具扱いしてますから。
自分と対等で、思いも掛けない反応を返してくれる人間は戦人だけ。EP6でベアト側に立って7姉妹達を動かしてみた戦人は、その空しさや孤独を噛みしめていました。
あんまり関係ない話ですが、こういう少女時代の空想物語ってのはありふれた文学テーマ?なのか、他にもありますよね。赤毛のアンとか。
アンも空想癖の激しい女の子で、自分の理想の髪の色・名前なんかを想像して楽しむんですが、やっぱりこれって孤独な生い立ちのアンなりの気の紛らわし方なんですよね。
EP7のヤスの妄想は確かに痛いんですが、これまで語られたベアトリーチェの生い立ちの背景を考えると、こういう自分の中の世界に助けを求めるのも仕方ないのかなーと思ってみたりします。
そして、そこから連れ出してくれると約束した白馬の王子様(笑)に、さぞかし期待しちゃったんだろうなぁ・・・と。
戦人自身は自分が迎えに来ると約束した女の子にそんな事情があるとは知らなかった訳で、約束を忘れた事自体は仕方ない面もあるんですが(戦人も大変だったからね)、これは恨み節で「罪がある」と言いたくもなるのかもしれません。
ただ、EP7でクレルが語る、ヤス=紗音=ベアト=嘉音だとすると、少女時代はともかく1986年の16歳現在まで妄想遊びに浸る必要はないですよね。子供時代は友人もいなくて職場でも上手くいってなかったけど、12歳頃には後輩に多少は威厳も出てきた。朱志香とも友達になった。戦人には失恋したけど、譲治なんて恋人も出来た。現実世界を着実に生きて、幸せに近付いてる訳で、1986年の上位世界で戦人以外に誰もいない、なんて状況ではありません。
少女時代に孤独を紛らわせる為に妄想遊びに耽っていても、いずれ大人になって現実が充実すれば現実逃避ともお別れする。それが普通なのに、ベアトリーチェはそれが出来なかった。
これはつまり、ベアトの孤独は1986年当時まで続いている事に他ならないと思うんですよ。9歳の真里亞との友情を大切にしていたのが何よりの証拠です。
こういう所も一々引っ掛かるクレルの告白。絶対に、ベアトリーチェの正体が紗音、て事は無いと思うんだけどなぁ。こういう孤独が描写されているのは嘉音ですぜ。
実際問題、この章でも「紗音は従兄達と楽しくはしゃぎまわる、ベアトはそれを羨ましそうに見つめる」の図式が出来上がっています。多分、コレ、実際にあった事だと思います。
紗音とベアトリーチェは別人で、紗音は従兄達と遊ぶ機会もあったけど、ベアトリーチェは表に出られない子供だったから羨ましくみているしか出来なかった。でも、紗音の味わっている楽しさをどうしても知りたかった。
紗音と戦人が推理小説談義をした話が出てくるんですが、これって従兄達4人で遊んでる時にした話じゃ無くて、「2人きり」の秘密の語らいだったんですよね。
戦人と2人きりの時間しか推理小説談義は出来なかった。うーん、やっぱり、この2人きりってのが肝じゃないですかね?ここで戦人が2人きりで話し合った「紗音」は、本当は誰だったんでしょうか。本当に、あの紗音だったんでしょうか??
それにしても、戦人が迎えにくるぜー!と約束した場所、本館の玄関脇だったんですね。奇しくもEP4で戦人が当主試験を受けた場所です。戦人の罪を思い出させるのに相応しい場所だった訳で、ベアトは戦人の約束を良く覚えていたって事になります。
さて、他人との交流の楽しさを覚えたベアトリーチェは、妄想の世界の空しさを知ってしまいました。ここで「覚えちまったら忘れられねえなぁ」と言ってるのに、それを紗音のモノをしてる展開が微妙に強引なような・・・。まぁ良いか・・・。
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